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仙台

仙台七夕香
仙台七夕は中国の「乞巧奠(きっこうでん)」と、「田の神」などの日本固有の信仰や盆の祖霊祭が組み合わされたものといわれています。
このことを伝える習慣の一つに、青い吹き流しの端に線香を貼り付けた「七夕線香」がありました。現在の七夕飾りの七つ飾りのほかにも、この「七夕線香」や「灯入れ行燈」も笹飾りの吊るし物とされておりました。
旧暦の七月六日の夜更け、青い吹き流しの先端の香に火がともされた風景は、幻想的なものだったでしょう。
どうぞ、その風景をイメージしながら「仙台七夕香」をお楽しみください。
※現在は火災の危険が大きいため、吹き流しにつける「七夕線香」は一切行われておりません。「仙台七夕香」は必ず専用の香皿・香立てを使用して「お香」としてだけお楽しみください。
※香皿・香立ては付属しておりません。
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仙台七夕 仙台七夕 仙台七夕

仙台七夕香とは

仙台七夕の起源と伝統

仙台七夕の起源は、奈良時代(710-794年)に中国から伝わった「乞巧奠(きっこうでん)」がきっかけとされています。この「乞巧奠」は旧暦7月7日に織姫と彦星の「星合伝説」に基づき、女性が手芸の上達を願う祭りです。
同じ頃、日本では「棚機津女(たなばたつめ)」の伝説が広まりました。乙女が神に捧げるために布を織る神聖な行事。この「棚機」が、後に「たなばた」という呼び名の由来となります。
そして、稲作が始まった弥生時代から日本に存在すると考えられている「田の神」の信仰。
「お盆」という呼び名で江戸時代頃から広がったとされ、仏教の「盂蘭盆会(うらぼんえ)」に由来する日本の伝統的な先祖供養行事。
このような伝承や信仰、文化が融合し、七夕文化は発展してきました。

仙台七夕まつりを支える老舗企業

江戸時代初期に仙台藩祖の伊達政宗公が七夕を奨励したとされているころから「たなばたさん」として庶民に親しまれていた七夕文化。
しかし、明治6年に朝廷での七夕儀式が廃止され、明治38年の日露戦役後の疲弊といった情勢の流れで、七夕文化は衰微していました。伝統に支えられ教育的に家庭の行事として細々と継続されるような下火の状況。昭和になり、そんな「たなばたさん」に活を入れたのが、仙台の商店街「大町」の人々でした。
この大町で仙台七夕まつりの長い歴史を支え続けてきた重要な存在として、鳴海屋紙商事株式会社があります。創業130年を超えるこの老舗企業は現在も「大町」にあり、仙台七夕まつりの伝統を支え守り続けてきました。
鳴海屋紙商事は単に伝統を支えるだけではなく、次世代に祭と文化を伝え続けるため、飾り終えた七夕飾りを回収し、再生紙として新たな価値を生み出しています。そして「仙台七夕香」のパッケージの一部にはこの再生紙が使用されています。七夕飾りの鮮やかな和紙が垣間見えるこの再生紙は、香りを楽しむ前から仙台七夕の物語を心に響かせます。

七夕線香とその意味

現在、笹に吊るされる「七つ飾り」には、五穀豊穣や家内安全、学業成就などの様々な願いが込められています。
特筆すべきは、仙台七夕独自の「七夕線香」の存在です。これはお盆の線香にちなんだものとされており、青い吹き流しの端に線香を貼り付けた独特の飾りでした。旧暦7月6日の夜更けになると、この線香に火が灯されました。青い吹き流しの先端で揺らめく線香の火は、祭りの夜に幻想的な雰囲気を醸し出していたことでしょう。
「七夕線香」と並んで、「灯入れ行燈」も笹飾りとして用いられていました。これらの伝統的な飾りは、祭りの夜を彩る重要な要素として、仙台七夕の魅力を一層引き立てていたのです。

現代の仙台七夕香

仙台七夕まつりはその長い歴史の中で様々な想いを込められ常に変化し続けてきました。かつて行われていた「七夕線香」は、火災の危険性を考慮し、現在では実施されていません。しかし、中国の行事を起源としながらも、日本の信仰や伝統と融合し、さらには現代的な環境への配慮まで取り入れる、この柔軟性と創造性こそが仙台七夕まつりが人々に愛され続けている理由なのかもしれません。
「仙台七夕香」は、華やかな祭りの雰囲気と、星空の神秘的な美しさを香りで継承していきます。